僕はヒデヨシ

僕のこれまでを

 

どう生きてきたかを

 

知りたがる方が、ひじょーにたくさんいるので

 

ちょっと、書いていこうかと思いますねん。ええ。

 

1975年(昭和50年) 3月17日

AM11:01 僕は生まれました。

 

そして、僕は

 

親ではなく、オトンの知り合いに命名されます。

画数や字にこだわり

 

英 利  (ひでよし)

 

と。

 

「英利 」と書いて 「ひでよし」 と読ませるのがとにかく大事だと

 

熱弁されたらしく

 

僕はその後、どこへ行っても誰と会っても

 

100%の確率で

 

ひでよし“ ではなく ”ひでとし” と呼ばれ

 

名付け主のアツい想いは、まるで届かず…

 

43歳になったいまでも、いちいち言い直さなきゃいけないという

 

めんどうな作業を強いられる人生です(笑)

 

その想いのなかに、「技術者に向くように」という言葉も添えられてました。

 

ある意味、そのようになっていってる感はあります。

 

ただ、先も書いたように

 

ひでとし」と間違えられ、

そして

「いや…”ひでよし“なんです….」 を毎回毎回やらされ、

 

そしてその後は

 

相手が

 

お決まりの

「えっ!!! あの”豊臣秀吉“やん!!!」という

リアクションで

これまた面倒な展開になるため

 

僕は40歳あたりまで、ずーーーーっとトラウマになります(笑)

 

そうです。あまり全面に押し出さなかったんです。。。

(今でこそ、逆にアピールしてますが)

 

僕はちなみに一人っ子で、

 

僕の周りを囲むのは、常に大人たちのため

 

遊びを共有する同世代がいないので

 

人よりも物に関心を抱く子になります。

 

この2歳当時で車に一人で勝手に乗り込んだり

 

 

一人で線路付近まで行って

新幹線や電車を見ては、心躍らせていました。

 

オトンとオカンは共働きだったため

 

僕は、おじいちゃん と おばあちゃんに面倒をみてもらってました。

 

そうなると一人っ子は、典型的な一人っ子になります(笑)

 

わがままで、オモチャもおやつも独り占めで

 

端から見ると、ものすごい嫌なガキです。

 

おばあちゃんは編み物が達人レベルな人で

(一方でセブンスターの愛煙家でもありました)

 

いろんな人から編み依頼を受けて

 

年々、顧客を増やしていってて

 

納品のために

 

あちこちへとアクティブに出かけるたびに

 

僕は背中におぶられ、時に手を持たれ

 

連れられて行った記憶が今でもあります。

 

家は兵庫県ですが、

 

毎週のように電車に乗って岡山県のあちこちへ行き

(出身が岡山だったから顧客も多い)

 

そして3ヶ月周期で、フェリーに乗り小豆島へ渡ったり

 

電車とバスを乗り継いで和歌山県の高野山へ行ったり

 

梨狩りと編み物を物々交換ってことで、鳥取県まで行ったり

 

かなりアクティブなおばあちゃんでした。

 

今思えば、僕のアクティブさは

 

おばあちゃん譲りかもしれません。。。

 

 

おじいちゃんは、精米所をやってて

(ハイライトの愛煙家でもありました)

 

とにかくなんでも改造をしなきゃ気がすまないタチで

 

配達のバイクの荷台にDIYで米90キロ分と僕が乗るキャリアを作って

 

あちこち走り回ったり、

 

家の2階に外からでもアクセスしたいという気持ちだけで、

 

2階のベランダから強引に階段を作ったり

 

部屋が足りないからと、増設して部屋作ったり

 

これも今、思えば…

 

脈々と

 

今の僕の生き様に受け継がれてるように思います。

 

誰からもあんまり怒られた記憶がなく

 

伸び伸びと自由にわがままに(笑)

 

育てられたように思います。

 

 


今日の一曲

Surf Curse

ローファイでサーフちっくなガレージパンク


 

 

じゃ、また。

 

 

 

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